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東京地方裁判所 昭和61年(刑わ)457号 判決 1986年7月08日

主文

被告人を懲役六月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

押収してある自動車運転免許証一通の不実記載部分を没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五八年一二月二〇日、東京都府中市多磨町三丁目一番一号所在の警視庁府中運転免許試験場において、東京都公安委員会宛の運転免許証更新申請をするに当たり、真実はこれが自己の住所でないのに、その住所欄に「東京都台東区根岸二丁目一九番二〇号」と虚偽の事実を記載した同公安委員会宛の運転免許証更新申請書一通を同試験場係員に提出し、もって、公務員に対し運転免許証に記載される自己の住所について虚偽の申立てをし、よって、同日、同試験場において、情を知らない同試験場係員をして同公安委員会発行の被告人に対する自動車運転免許証にその旨不実の記載をさせた上、即日、同所において、右運転免許証の交付を受け、昭和五九年九月一一日、埼玉県浦和市上木崎一丁目一二番一〇号先路上において、道路交通法違反により、同県浦和西警察署司法巡査佐藤一典から運転免許証の提示を求められた際、同巡査に対し、不実記載にかかる前記運転免許証をあたかも真正なもののように装って提示して行使したものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為中、免状不実記載の点は刑法一五七条二項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、同行使の点は刑法一五八条一項、一五七条二項、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、右の免状不実記載罪と同行使罪との間には手段結果の関係があるので、刑法五四条一項後段、一〇条により犯情の重い不実記載免状行使罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、押収してある自動車運転免許証一通(昭和六一年押第五〇八号の10)の不実記載部分は、判示各犯罪行為をそれぞれ組成した物で、何人の所有をも許さないものであるから、同法一九条一項一号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、まず、運転免許証の記載事項として、住所欄は本籍欄、氏名欄等と異なり重要な部分ではないから、免状不実記載罪における客体となり得ず、また、同住所欄は連絡場所を記載すれば足りると解すべきであり、本件ではこれを記載したものであるから、いずれにしても被告人の行為は免状不実記載罪の構成要件に該当しない旨主張するが、運転免許証の記載事項としての住所欄は、本籍欄、氏名欄等とともに免許を受けた者を特定する上で必要であるばかりでなく、住所地の管轄公安委員会が行う運転免許証の更新、取消、停止処分等の手続においても必要不可欠であり、したがって、道路交通法上、住所変更があったときは、すみやかに公安委員会に届け出る義務があるとともに、その違反に対して罰則が設けられているのであるから、運転免許証の記載事項として、住所欄がその重要な部分であることは明らかであり、また、同欄に記載されるべき住所は、単なる連絡場所ではなく、本人の生活の本拠でなければならないと解されるところ、前掲各証拠によれば、被告人は本件住所欄記載の場所には全く居住したことのないことが認められるのであって、同場所を被告人の生活の本拠とみることができないことも明らかであるから、いずれにしても弁護人の右主張はその前提において特異な主張であって、これを採用することができない。

弁護人は、次に、本件の端緒となった被告人の反則行為事犯において、その反則金納付につき何ら支障がなかったのであり、本件自体においても、特に刑事処罰をもって臨むべき法益侵害等がないから、実質的違法性ないし可罰的違法性が存しない旨主張するが、公文書である運転免許証の記載内容に対する社会一般の信頼は多大であって、その住所欄に虚偽の申立による不実の記載をさせた結果、運転免許証の公の信用を毀損した行為については、軽微ならざる違法性があり、殊に本件においては、前掲各証拠によれば、被告人が警察官の検問を受けて免許証を提示する際、自己の住所を都内に置くことが行動上便宜であると考え、意図的に他人の住所を利用した上、現に本件免許証を警察官に提示して行使していることが認められるのであって、本件は計画的な犯行であると言わざるを得ず、これが実質的違法性ないし可罰的違法性を欠くものでないことは明らかであるから、弁護人の右主張も採用することができない。

弁護人は、更に、本件公訴提起が被告人に対する報復、政治弾圧等の目的で一般の起訴基準を大きく逸脱したものであるから、公訴権の濫用に当たる旨主張するが、本件においては、検察官が明らかに起訴猶予処分を相当とする事案であるにもかかわらず報復、政治弾圧等の目的をもって、意図的に公訴提起に及んだことを疑わせるに足る事情の存在を何ら窺うことができないから、弁護人の右主張もまた採用することができない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中山善房 裁判官 角田正紀 森光雄)

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